『物いう小箱』。旅のついでに頼まれたのは、お寺に寄って小箱を受け取って来てほしいというおつかい。しかしその小箱、喋るんです、という話。理屈が成り立たない薄気味悪さにゾワゾワした。先日読んだ内田百閒『冥途』といい、この手の唐突で不安定で奇妙な話は大好きです。

ふと気が向いて北村薫が『謎のギャラリー / こわい部屋』をパラパラしてたら、収録されている南伸坊のマンガのうちのひとつが の話だった。偶然というのは恐ろしいもんです。

実は の著作集が欲しくて眺めているのだけど、正編続編普及版とあるのかしら。よくわからんなぁ。お世話になってる古本屋の店主に訊いてみようか。

「要するに良書を知るというのも、鉱山家が鉱脈を探し廻るのに似ているかもしれない。そういうと甚だ頼りなく聞えるかも知れぬが、私等もまた誠実な心を以て、常に良書を知ろうと心懸くべきである。そして良書を求める心が誠実ならば、それに対して必ずや感応するところがあるであろう。但し這般の消息は、既にさような経験を有する人とのみ語るべきかも知れぬ。」

「出来上がった書物は、既に著者の手の離れた別箇の存在である。それを有効に己のものとすることは、正に読者の責務に属する。著者はその作業に全く関与しない。私は本書を手にせられる人々に告げる。どうか大いに自分を活かし、自分を働かせて読んで、すぐれた読書家たるの栄誉を各自が担っていただきたい。」

これ、昭和18年の文章。ひぇー。。

「とりわけ、森の人物伝の大きな魅力は、現代の私たちからみれば、それ誰っスか? とでも言いたくなるようなマイナーな人物の生の軌跡を、入手困難な史料を武器に丹念に探っていくところにある。ためしに、『新橋の狸先生』を捲ってみよう。神谷潤亭、川村寿庵、老樗軒……うん、分からん。」

在野研究のススメvol.19 : 森銑三
en-soph.org/archives/43393758.

「『書物』という名の書物を拵えるということが何やら愉快そうで、ついそれを引受けて、二人で協同して執筆することにしたものの、考えてみると、書物の名前が『書物』では、生れた子供に『人間』という名が附けられたようで、第一呼ぶにも工合が悪い。厄介な書物を引受けたものと、後になって気が附いた。」

『物いう小箱』をその後もちまちまと読んでいる。どれもこれも小粒ながらも佳品揃い。物語もプロットもいまとなっては類型的ながら、怪異のあるがままを滔々と語るその手口がとても気持ちがいい。

「最初にいたいけなお小姓が、袱紗に乗せた茶碗を恭しく目八分に捧げて出る。茶碗を置いて顔を上げると、お定まりの一つ日小僧だ。しかしそんなものには驚かない。古いぞ古いぞ、と見向きもせぬものだから、小僧はしょげて引き下る。」

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「化物屋敷だなどと触込ばかりでばかばかしい。何のこともありはせぬ。どりゃもう帰るとしようかと、立上ろうとして腰を浮かせた途端に、鼻先を掠めて一抱えもある大石が、天井からどうと落ちて来た。」

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『提灯小僧』、夜道を歩いていると明かりのついた提灯だけが現れてフラフラと歩いていた怪談。軽い語りによるユーモアと不思議と小匙一杯の恐怖。たまらん。

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「昔本所に、提燈小僧という奇抜で愛嬌のある化物が出たそうだ。真暗な晩に、灯のともった小田原提燈が一つ忽然と現れて、自分の前三四尺乃至一二間のところを行く。人影はなくて、提燈だけがぽっかりと明るく、ちょうど影絵に映し出されたもののように、暗闇の中をふらふら動いて行くのだそうである。」

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『猫の踊』、猫が踊る怪談でした。日常と非日常が隣接して互いに交わることもなく、ただその境界が曖昧にふらつくこの感覚が怪談よね。素敵だなぁ。

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刺身を切っていたら猫が手を伸ばしてきたので包丁の柄で小突いたら猫が「いたい」と言いました。

だってよ。なんだこの導入。ニヤニヤしちゃう。

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